「すき」と暮らす

走りすぎない。堅いことなしに、好きに暮らそう。

自己肯定を高めると物事はうまくいくという話

 

「すき」と暮らすの、梅田ミズキ(@mizulifejp)です。

 

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何かに、ただひたむきに挑戦し続けるということ。達成したいことに向かって、突き進んでいくこと。

 

それらは、こころを強く持っていないと、きっかけひとつであっという間にガラガラと崩れてしまうかもしれません。そして、元の形に戻すにはとっても時間が掛かったり。

 

けれども、「こころを強く持つ」ってどうしたら良いのか。私が気を付けている、ちょっとしたことを書いてみます。

 

 

言葉は脳をコントロールする

 

何やら怪しいフレーズに聞こえますが、そういった話ではなくってですね。

 

私は、昔から母にこんなことを言われて育ちました。

 

少しだけナルシストになりなさい。

言葉は、行動の基盤になる。

いつでも前向きな発言をして、まずは脳を勘違いさせる。

そうすれば、後から行動が伴ってくる。

 

幼少期の私は、どちらかと言えば人に意見を言えるほうではありませんでした。タチが悪いのは、考えや思いは自分の中で明確なのに、それを発信していけないところ。

 

例えば、授業中などに「はい、ではキミ」と名指しされた場合には自分の意見をまっすぐ伝えられるのに、「誰でも良いので発言してみて」と言われると、途端に貝になってしまう、あの感覚。人とずれてるんじゃないか、みんなと同じ方向ではないんじゃないかと、どこか予防線を張っていることが多かったように思います。

 

思春期に入ると、ぼんやりとした何かに反発してみたくなったり、無駄にトゲトゲしてみたり。親としても少し扱いにくい部分があったのではないかな。

 

そんな私を見透かしたような、母のこの教え。

 

ネガティブな言葉を発していれば悪い方向へ、ポジティブな言葉を発していれば良い方向へ向かっていく。母のこの教えは、私の中にネガティブ虫が出現した時、たびたび頭によぎります。

 

自分自身のお見積りを下げない

 

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▲こちらの記事 にも書いたのですが、大人になってから、

 

  • 「自分らしさ」
  • 「自分の強み」
 
について考える時間が増えました。あらゆる肩書を背負うようになって、本当の私らしさというのは何処にあるのか。
 

つまるところ、私の考える私らしさというのは「本当に好きでこだわったモノやコトたちに囲まれながら、シンプルに暮らしていくこと」だったのだけれど、そこに落ち着いてから、なんだか身軽になったように思います。

 

そして何より、自分のことがちょっぴり好きになりました。

 

「これが流行ってるんだ」とみんなが手に入れたがるようなキラキラしているものに何故だかときめくことが少ないし、自分の好きなものを地味に好きで居続ける。かといって好きなことを発信していく勇気も無ければ、苦手なことを克服するバイタリティーも備わっていない。
 
そんな自分のことを、私はこれまで「なんてだめなやつ・・・」と何度思ったことだろうか。けれども、最近思うのです。「そのままでいっか」って。

 

他人からの評価ばかり先に気にしていると、中身の無い、浅い人になってしまう。それよりも、惑わされずに自分の好きなことを信じて生きていきたい。

 

だって、自分の強みは自分が一番知っています。自分で自分を思い切り営業する。つまり、自分推しになること。

 

自分で自分のことを少し許してあげたところ、ふわっと肩の力が抜けて、「ここだ」と感じた必要な場面では、しっかりとエネルギーが発揮されるように。好きなことを仕事にしたいという道筋がくっきりとしたし、足りないと思っていた“苦手なことを克服するバイタリティー”も、「調べてみたい」にぐんぐん変わっていったのでした。

 

これが母の言っていた、

少しナルシストになりなさい

 という教えの意味なのではないかと、そう思うのです。

 

人に自信を振りかざさない

 

そんなことを考えるようになってから、「一般論」みたいなものにあまり振り回されなくなりました。「普通はこうすべき」「こういなくちゃいけない」という概念が和らぎ、ちょっとすっきりした気分で毎日を迎えています。

 

誰かの「好き」に自分が乗りきれなかったように、私の「好き」を周りも好きだとは限らないし、それどころかむしろ不快に感じる人もいるかもしれない。だから私は、たとえ大切な人であっても、自分からあまりたくさんのことを推奨しません。

 

自分に自信が無いからではなく(とびきりあるわけでもないのだけれど)、同じような考えや似たもの同士は、何もしなくても自然と引き寄せられて話が合う。これまでも、そうでした。

 

もちろん、土台は必要。「求めたいと感じる人」と「求めたいと感じない人」とのフィールドを、発信する側のこちらから分ける責任があるということです。

 

これはもしかすると、私自身が「求めたいと感じない」ような、お腹いっぱいだよ~という情報に対してのキャパが少ないからかも。しんどいのだもの・・・。

 

自分が普段関わっていない世界からの情報は、視野が広がったり、新たな魅力を発見する意味で、とっても素敵。けれども求めているものに対しては自ずとそっちに足が出向くだろうし、求めていない人に対して、「コレ!コレなのよ!」と勧めるのって、なんかちょっと違う。

 

自分の発信した情報を、もしも「見ざるを得ない」という相手がいるとするならば、少しばかりの配慮も必要。SNSを駆使して仕事する場合に、プライベートアカウントとビジネスアカウントは分けたほうが良いと聞くのは、こういった意味合いかなと思うのです。

 

誰かと比べた幸せは薄い

 

けれども悲しいことに、がむしゃらに頑張って目標を成し遂げようとしている人には、必ずといっていいほど逆風を起こす人がいて、それは大体が「自分の方が頑張ってる」ではなく「あなたのこういう所がいけない」という粗探しだったりします。

 

自信を失う必要は全く無し。ピッと背を向けて、追い風にしてしまえばいいのです◎

 

 

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 基本的には関わらなくって良いのだと思うのだけれど、「はいはい」ってスルーするのも実は勿体なくて、そんな意見の中にも必ず何かしらのヒントがあるのだとか。

 

ライターの受注を行っているという方と、お話する機会があった時のこと。その方が、こんなことをおっしゃっていました。

 

鋭い意見というのは、財産。

自分が必死になって、必死になりすぎて盲点になっている部分を、

指摘してくれていると思った方がいい。

鋭い意見への返しによって、その人の力量やお里が知れる。

冷静に見ている人は見ています。

 

膨大な数のライターを見てきたからこその、説得力のある言葉。

 

誰かと比べて手に入れた幸せは、その「誰か」の匙加減によってまた形を変えてしまう。実に薄いものです。自己肯定から自分で結び付けた幸せは、誰のものでもないのに。

 

人と比べて自分が劣っていると感じたとき、その人を下げるのではなく、自分が上がれるように。いつでも、そんな前向きなモチベーションで居たいものです。

 

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