「すき」と暮らす

走りすぎない。堅いことなしに、好きに暮らそう。

「分からない」を褒められて激変した4歳娘の話

 

 

「すき」と暮らすの、梅田ミズキです。

 

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「ママ、これわからない」娘から毎日のように飛んでくる、この言葉。

 

前は出来たんだけれど、今日は「わからない」。前は出来たんだけれど、今日は「手伝ってほしい」。そう言われるたび、これまで私は、

 

「昨日は出来たから出来るはずでしょ?」

「頑張ったら出来るはずだよ」

「気にしなくていいよー」

 

 こんな風に対応してきました。

 

やれることは粘り強く頑張ってもらいたいし、一度出来たことって何度でも出来るはず。私としては、そんな思いで声を掛けてきたつもりなのだけれど、ある時、娘が「分からない」ことを私に伝えて来なくなりました。

 

 

伝えることをやめた引き換えに

 

「対応してきた」

私はそんな風に表現しましたが、実のところは「かわしてきた」のかもしれない。

 

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▲こちらの記事 にさらりと書きましたが、以前の職場は自宅から少し距離があって、朝も晩も、娘を急かす毎日。家にいるあいだの私はというと、追われるかのように家事をしていたし、娘はいつの間にやらひとり遊びが上手になって、「助かるなぁ」とすら思っていました。

 

時たまゆっくり座って遊べる時間を作っても、家事と家事との間にむりくり入れ込んだ平日のその時間は、私にとってはやはり心地よい時間ではなくって、「まだアレとコレも残ってるんだけどな」と、次にやることで頭が一杯。

 

そんな風に余裕のない私なので、忙しい時間帯の娘への対応は、気を付けてはいてもどこか疎かになりやすく、娘の「わからない」という小さくも大きな訴えに対して、「出来る出来る~」と、ふわっと軽く答えていたのでした。

 

だけれど、ある時ふと娘が、近ごろ「わからない」と訴えて来ないことに気が付きました。

 

なんだか最近、わがままを言わない。やけに聞き分けも良いし、あっさりしてる。こうしてオトナになっていくのかしらと、鈍い私はしみじみしていました。

 

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ある日、娘の体調が優れず保育園をお休みさせることに。咳が少し出ていたけれど発熱していなかったので、娘本人は元気もりもりで、家じかんを満喫。

 

私としても、想定外の休日。まぁこんな時くらいはちょっと家事をスローペースでこなして、娘とゆっくり過ごそう。そんな風に思って、娘の遊びをとなりで見ていました。

 

はさみを使って、何やら折り紙をちょきちょき切ってゆく娘。何が出来るのかなぁとまったり見ていると、おそらく自分の作りたかったものとは別の形が完成したことに違和感を持った娘が、私のほうにふと目をやって、すっと手を止めました。

 

「もう作らないの?」と私が言うと、娘は、「だって、へたっぴなんだもん」。

「へたっぴじゃないよ、何を作りたかったの?もう一回やってみよう」と私が言うと、娘が、「もうやらないの。わからないから。」「できなかったらいやだから。」

 

「わからない」と訴えてもかわされることを覚えた娘は伝えることをやめた引き換えに、すぐに諦めるようになっていました。

 

このままでは、という懸念

 

やってしまった。遅すぎるけれど、その時にそう思いました。

 

娘はこれまで何度も、「これおしえて」「ここわからない」と伝えてきていたのに。私はその時の自分の状況や気分によって、ある時はじっくりと向き合ってみたり、ある時は大丈夫だよ~とゆだねてみたり。

 

そんなことを日常茶飯事に行ってきたけれど、ひとつひとつの小さな積み重ねが、娘から“尋ねる”という自信を奪っていたのかもしれない。このままだと、壁にぶつかった時に「どうせわからないと言っても教えてくれないからやめよう」と逃げてしまうかもしれない。

 

まずかったなぁ。そう自分のこれまでを反省したのだけれど、とは言え毎回じっくりと向き合えるかというと、なかなか難しいものでした。

 

「向き合う」って何だろう。私なりの、我が家の環境なりの「向き合う」を考えてみたときに、何も「同じことをして同じ目線にいる」ことだけが答えではないように思えてきました。

 

私はともかく、「分からないと言えた娘」のことを褒めてあげようと考えたのです。

 

褒められるという自信

 

もう自我が芽生えていて、なおかつガンコ(私に似て)な娘。投げ出さずに諦めないでやってみようという気持ちに持って行くまで、カンタンではありませんでした。

 

私が思っている以上に娘は自信をなくしていたし、諦めて別のおもちゃに取り掛かるほうがラクだという味も占めていたし。それでも私は、娘から「わからない」を聞くまでやってみようと思いました。

 

そしてある時、私を真似て洗濯物をたたむお手伝いをしていた娘が、私のブラウスを持って、「ママ、これはおっきくてやり方わからない」

 

きたきた。

 

まず真っ先に、「分からないって教えてくれてありがとう」と伝えました。

ぽかんとしている娘に、「分からないことを、正直に『おしえて』って言えることは、大事なことだからね。だから分からないって言えてえらかったね」そう続けました。

 

いたって普通のことかもしれない。はたまた、やりすぎかもしれない。もしくは、もう間に合わないかもしれない。

 

一瞬そんなことが過ったけれど、そのときの私は、過剰なくらいに娘を褒めてみました。えらかったね!言えたんだね!これで一緒に考えられるね。

 

ぽかんとしていた娘は「これからもおしえてって言えばいい?」と言って、みるみる張り切り、やる気になって、笑顔になるのが分かりました。

 

あの後、「分からない」「手伝ってほしい」の訴えがある度に、やったね!しっかり言えたね!やってみようね!を繰り返してみる日々。娘のモチベーションはぐんぐん育った(ように見える)し、やる気に溢れるように。

 

文字通り見違えるように、ひとつのことを集中して取り組めるようになった娘。親馬鹿と言われればそうかもしれないけれど、激変した。そう思います。

 

「分からない=悪」ではない

 

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後々考えてみてもあの時の私の褒めっぷりといったら滑稽で、思い出しても笑えてくるほど。それでも、あれで良かったのかもって思います。

 

あの後、「今度はすぐに分からないと言い出すようになるかなぁ」なんて考えてもいたのだけれど、分からないことが悪いことではないと知った後の娘は、不思議と「自分でよく考えて、やり込んでみてから尋ねてくる」ようになったし、本当の意味での成長が見えたようでした。

 

今はひとつ歳を重ねて5歳になり、逆に何でも果敢にやりたがる時期に。それはそれで大変だけれど、「出来るはず」「大丈夫」と娘の可能性を信じつつ、次から次から出てくる毎日の「はてな」を、よく見つけたね~!と褒めてあげたい。

 

親として、そんなことを気付かされた出来事なのでした。

 

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